明確な意志

わすれたことをわすれないためにわすれたことをわすれるのはわすれられた

レクサプロ備忘録 2021/09/24「向きを揃えること」

女児アニメを観て泣く人は何に泣いているんだろうか?

それを確かめるべく、我々はアマゾンの奥深く、熱帯雨林の猛々しいジャングルへと足を踏み入れるのであった。

一時期、すみっこぐらしも泣けるということで話題となったが、あれも正直怖かった。

少年少女性の維持的なものがチラホラと見えて、少し距離を置いてしまった。

しかし実際見てみると、まあそうなるよなあといったところは除いてなかなか楽しめるものがあった。これで泣く人はずいぶん清らかで逆張り精神など一切ない人なんだろうなとも思った。

女児アニメもその一種で、ハマる人がいるからそれは否定しないけど、どこを見て興奮しているのかがまだ落とし込めてなく、そのあたりをもう少し精査していきたく考えている。女児アニメは女児のものだから、それを観て感動できる人は女児性を持っていることにつながるのか?過去に人間を殺した船で萌えても本当によかったのか?

ここから先は精神的で、かつブシドーなものになってくると思う。一旦決着をつけてみたい。

 

なぜか上の階から床ドンを食らっている。

うるさくしていることは本日に限るとまったくないし、攻撃に少しビクついていたが、どうやら隣の建物から男女の話し声がダダ漏れしており、それをぼくが出していると勘違いして反応しているらしかった。そうでも考えないと納得できないくらい、男女の夜間デシベルオーバー時と床ドンのタイミングが一緒であったため、腑には落ちたが疑われているみたいでいい気分ではなかった。

スズムシは近くの草むらで鳴いていてもなかなか姿を見つけることができず、個人的に鳴き声の指向性が狂ってるんじゃないかと考えている。この騒音も、コンクリートジャングルによって狂わされた音の反射場から発生した冤罪と考えると、実は案外自然的なシステムの上に生活の構造が成り立っているのかもしれない、とふと思った。

 

久しぶりに高校時代を過ごした街を散歩した。

高校生の時とは比べ物にならないくらい開発されしきっており、駅前は見慣れない建物が乱立していた。浦島太郎の気持ちを味わうには最高だったが、地元の人しか知らないようなローカルな肌感がある情報を得るには少し厳しいものがあった。昼ごはんを食べるのにも手こずってしまった。

温泉に入ってひさびさに心の緊張をほぐした。平日の昼間だと人も少なく、むしろ狙い目な印象だった。今度は近所の温泉に昼間に行ってみたい。

 

飲み会がしたいという欲求に行き着くことがある。

サークルでやっていたような、一晩中ライブハウスを貸し切って音楽が流れ続けているようなイベントを、気の置けない友達を集めてもう一度やりたい。

いつの間にか朝になっていて、何人かは体力の限界で床で寝て、元気のあるものだけで他に誰もいない牛丼チェーンへ行って、その後に脳神経がブツりと切れたようにベッドで眠りたい。

泥酔して何もわからなくなりたい。吐くのは嫌だから、もちろんペースは守るのだけれど、一瞬なにかの境目をウロつくようなアルコールの摂取を、ひとひとりではなく集団として行いたい。

飲むことが目的ではないからこそ健全性が担保された集団で、あの不思議な感覚を卒業するまでになんとか再確認したい。

 

なんだかコロナは卒業までにおさまることのないような気がして、損失された娯楽機会とその側でいまでも亡くなっている世界中の生命のことを考える。全体主義でありたい。生命が目的ならなおさらで、それ以上に守るべき尊いものがない。個人の娯楽は介入の余地がないにしても、折り合いの付け方は弁えていたい。でもダメな時がある。いっそのこと何か強い力で押さえつけて、息ができなくしてほしい。

 

お酒とレクサプロの相性はあまりいいものではなかった。

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