レクサプロ備忘録 2021/09/26「世界五分前仮説言うな」
深夜の更新になってしまった。
マシュマロで脳に元気を与えて画面に向かっている。
SNSには交流出不精な点でだいぶ助けられたりしているが、人の営みが流れとなって画面に押し寄せてくれるのは大変危険だと気がついた。自分との比較は逃れられず、有り余るパワーは濁流のごとく胸に飛び込んでくる。ぼくはSNSがあって本当に良かったと思っている側の人間だが、それと引き換えに日常のマイペースさは少しだけ生贄に捧げているのかもしれない。中毒から持ち返すには、毒を裏返す必要がある。デジタルデトックスは到底不可能だが、SNSに対する裏返り用の糖を与えるタイミングが来ている。なにかに依存し心の拠り所を作るのはいいが、そればかりに籠ってしまうとカビが生えてしまう。そのカビは糖を食らう依存性の毒になるのか、身体中が危険信号を発する猛毒となるのか、マシュマロでは到底対処不可能な問題を頭に浮かべた。
ふと思い浮かんだ冗談がふたつある。
①1+1=2は完全に不正解だが、この事実を認めてしまうと世界中の数学者がキャリアを失うため、正解としたままやりくりしている
②アニメの適当なあるあるを話してもなんとなく話が通じるのは、仮想のアニメの記憶が一様に人間の脳に前もってインプットされているから
このふたつは別々のタイミングで頭に浮かんだものだが、どちらも世界の根幹を揺り動かすような点は一致していて、そこがちょっと面白かった。
ふざけた冗談を思いつくのは脳が極めて何もしていない時か熱暴走を起こしそうなくらい集中している時で、よくその内容をツイートしてみなさんからの興味関心意欲態度のおこぼれをもらっている。
ただ、パターンとしては視野を拡張したものに関連付けて思いつくものばかりで、少々マンネリ化が否めなくなってきている。死や人生、社会や労働はほうっておいても走り出す万能なエンジンで、風の力だけを利用して飛ぶ紙飛行機のようなツイートが最も美しいとされている。
常識を植え付けられた結果、間違いだと気づかずに23歳の現在がある可能性もある。
腕時計がないんだった。
TOEICの試験のために買った1500円の腕時計以外に、おしゃれ目的で付けるようなものを持っていない。スマホで時間見れるしいらないいらないと先延ばしにした結果、この年齢になってしまった。服には当社比で多少気を使うようになったが、腕時計のことは頭から完全に抜け落ちていた。
街中でウン十万もする腕時計をぶら下げているエリートサラリーマンのことを考える。
小学生の頃、同じ商品なのにいっぱいブランドがあるのは不便だから、国が統一してひとつの商品だけを供給しすればいいのに、と真っ赤な思想を自力で手に入れたことがある。
将来は、ぼくもお高い腕時計を身につけてしまう男性になってしまうのでしょうか...
レクサプロはもう、副作用のことは気にせずに扱えるシロモノとなった。
日本に合法的に脳を幸せにする薬があって、本当に良かった。
一日中聴いていた。これは音源が欲しい。